
島根半島から北東へ約65km、日本海に浮かぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島です。
この中で人が住む島は西ノ島(にしのしま:西ノ島町)、中ノ島(なかのしま:海士町)、知夫里島(ちぶりじま:知夫村)、島後(どうご:隠岐の島町)の4つで、島後に対して西ノ島、中ノ島、知夫里島の3つをあわせて、島前(どうぜん)と呼び、大きく2群島に整理することができます。
西ノ島町は島前の3島のうち西ノ島を占め、1つの島で1つの町を形成しています。

国賀の雄大な自然と豊かな海の資源は西ノ島の誇りです。
私たちは、この美しいふるさとに生きることをよろこび、平和で明るい町づくりをめざし、この憲章を定めます。 (昭和63年11月3日制定)
おきたんぽぽ
やぶつばき
おきあざみ

島根半島から北東へ約65km、日本海に浮かぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島です。
この中で人が住む島は西ノ島(にしのしま:西ノ島町)、中ノ島(なかのしま:海士町)、知夫里島(ちぶりじま:知夫村)、島後(どうご:隠岐の島町)の4つで、島後に対して西ノ島、中ノ島、知夫里島の3つをあわせて、島前(どうぜん)と呼び、大きく2群島に整理することができます。
西ノ島町は島前の3島のうち西ノ島を占め、1つの島で1つの町を形成しています。
隠岐は、古事記・日本書紀でみられるように国土生成の時より大八州の1つに数えられ、歴史的には古い島であるといわれています。上古には大陸間海上交通の要衝であり、孤島とはいえ、早くから開けた島であったので、古代国家の体制が確立すると共に島でありながら一国として扱われ、応神朝には隠岐国造が任ぜられました。

律令時代に隠岐は遠流の地に定められ、以来近世まで一貫して流刑の島として遠流刑に処せられた人々は数知れないといわれています。その中には中央の史上に顕れる知名度の高い名士や高官もあって、地域の文化や一般庶民の生活・風俗に及ぼした影響は大いなるものがあったと思われます。
近世は、北前船の風待港として栄え、上方文化の影響を直接受けるなど流人の島としては文化的に比較的恵まれた環境であったといえます。
このような歴史的背景の中で、島には史跡も数多く残されており、西ノ島町には後醍醐天皇の行在所の黒木御所をはじめ、海上交通安全の神として信仰の厚い焼火神社などがあります。
地勢は、火山島であったことから、高低起伏が激しく、島の東西を走る200mから300mの山脈により、内海側と外海側とに分かれています。
内海側は、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)と相対して、3島に囲まれた広々とした内海湾を抱き、海岸は屈曲に富んで天然の良港に恵まれ、14の集落が点在しています。
外海に面する部分は、西北岸に1つの集落がある外は、延々37km、海蝕断崖の連続で、海岸には奇岩怪礁が男性的な景観を呈し、特に国賀海岸は隠岐島の観光の代表的景観として知られています。
河川は地形が急峻なため発達する余地が無く、ほとんどが谷間の小流です。
急峻な山裾がそのまま海に接する地形上平坦地は少なく、美田地区にわずかに田地を有する程度でほとんどが丘陵地帯の段々畑となっています。
西ノ島町は、島前3島のうちの西ノ島を占め、面積55.97平方キロメートル、人口3,486人(平成17年国勢調査)を有し、隠岐郡内4町村では隠岐の島町に次ぐ2番目に大きな町で、島前地区の産業・交通の中心地となっています。
| 平成 | 20年 | 21年 |
|---|---|---|
| 総計 | 34,216,594 | 34,206,168 |
| 田 | 973,065 | 969,858 |
| 畑 | 5,286,660 | 5,280,448 |
| 宅地 | 693,881 | 691,840 |
| 池沼 | 24,849 | 24,849 |
| 山林 | 22,917,288 | 22,920,277 |
| 原野 | 3,981,275 | 3,982,085 |
| 雑種地 | 339,576 | 336,811 |
西ノ島町は、対馬暖流の影響を受けて、日間気温差は比較的少なく、年間平均気温は15.0度と比較的温暖で降水量は年間総雨量1,190ミリとなっています。
冬期は北西の季節風が強くなりますが、200~300mの山脈を背に内湾に面する大部分の集落はしのぎやすくなっています。
※隠岐のデータは海士町での観測値です。松江は島根県の県庁所在地です。
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年平均 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 隠岐 | 5.2 | 4.1 | 8.5 | 12.7 | 16.9 | 19.8 | 26.3 | 26.0 | 22.5 | 17.7 | 12.4 | 8.2 | 15.0 |
| 松江 | 4.5 | 3.2 | 8.4 | 13.1 | 17.5 | 20.6 | 27.3 | 26.7 | 23.1 | 18.1 | 11.7 | 7.4 | 15.1 |
| 東京 | 5.9 | 5.5 | 10.7 | 14.7 | 18.5 | 21.3 | 27.0 | 26.8 | 24.4 | 19.4 | 13.1 | 9.8 | 16.4 |
| 大阪 | 5.8 | 5.1 | 10.8 | 15.4 | 20.0 | 23.1 | 28.7 | 28.4 | 24.5 | 19.6 | 13.4 | 9.1 | 16.9 |
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年平均 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 隠岐 | 111.0 | 119.0 | 52.5 | 150.5 | 130.5 | 102.0 | 60.0 | 123.5 | 71.0 | 56.5 | 90.0 | 124.0 | 1,190.5 |
| 松江 | 150.0 | 165.5 | 149.5 | 140.5 | 124.5 | 209.5 | 39.5 | 104.5 | 63.5 | 48.0 | 127.5 | 155.0 | 1,477.5 |
| 東京 | 17.5 | 57.0 | 119.5 | 240.0 | 255.0 | 225.5 | 48.0 | 387.5 | 158.5 | 204.5 | 74.0 | 70.5 | 1,857.5 |
| 大阪 | 51.0 | 60.5 | 95.0 | 143.5 | 218.5 | 190.5 | 123.5 | 82.0 | 130.5 | 62.0 | 50.0 | 55.5 | 1,262.5 |
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年平均 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 隠岐 | 55.9 | 73.7 | 146.3 | 159.4 | 177.4 | 63.5 | 121.5 | 143.0 | 137.7 | 166.0 | 89.5 | 73.1 | 1,407.0 |
| 松江 | 68.9 | 75.0 | 141.1 | 176.8 | 213.2 | 120.2 | 232.3 | 178.5 | 135.1 | 173.4 | 114.5 | 102.9 | 1,731.9 |
| 東京 | 164.8 | 214.8 | 187.2 | 150.0 | 136.9 | 106.9 | 168.4 | 130.0 | 124.1 | 141.0 | 142.9 | 190.8 | 1,857.8 |
| 大阪 | 134.1 | 150.9 | 186.0 | 188.9 | 197.3 | 110.9 | 236.5 | 195.4 | 143.3 | 165.9 | 145.3 | 175.5 | 2,030.0 |
本町の産業は漁業、観光、畜産が大きな柱となっています。

西ノ島では、巻き網、定置網、一本釣り、刺し網、かにかご、採貝藻、いわがき養殖等の漁業が行われています。水揚げ高は、巻き網漁業を中心とし、全体で30~40億円といわれていますが、漁獲高の減少、魚価の低迷が問題となっています。
このような状況の中、水産資源の維持・増殖のためにマダイやアワビ等の放流事業を行い、また、環境を守るために、植林活動や海岸清掃を行っています。
こうして海洋資源を増進させていく一方、離島のハンディキャップを克服するため、活イカ、活魚、プロトン凍結商品、サザエの缶詰等の水産加工品の販売、また、いわがきのブランド化を推進する等、魚価向上を図っています。
日本海上に浮かぶ隠岐島は交通手段の発達していなかった時代、自立経済依存の余儀ない立場にありました。食糧自給の合理的手段として、先祖が考案したのが『牧畑(まきはた)』と呼ばれる輪転式農業です。その起源は明らかではありませんが、慶長12年の検地帳にその記録があることから400年以上の歴史をもつものと思われます。
牧畑は全国的にみても類例が無く、隠岐島内でも島前にのみ存続した特殊な農業経営方式です。
その形態を簡単に説明すれば、島を4つの地域に区分し、その区分された地区である季節は麦・大豆等の作物を栽培し、そしてある時期に至れば牛馬を放牧するといった輪転を行います。
牛馬の放牧により雑草の駆除を行い、併せてふん尿により地力を回復し、作付けする作物を時期により変えることにより、連作障害をも防ぐことができるというメリットをもっています。
昭和25年頃までは盛んであった牧畑ですが、農業人口の減少によって、現在では耕作は行われなくなりました。しかし、地区の住民であれば土地の所有に関係なく誰でも平等に牛馬を放牧できるという牧畑特有の形態は今でも受け継がれ、広大な牧野を利用した畜産が盛んに行われています。