■位 置
紺碧の日本海に浮かぶ日本海の楽園、隠岐・西ノ島町。西ノ島町ってどこにあるの? |
■歴 史
歴史的には非常に古い島で、後醍醐天皇が遠流された地として有名です。 |
■地 形
火山島であったことから、高低起伏が激しくなっています。 |
■気 候
すごく寒いと思われがちですが、海洋性の気候で意外と温暖なのです。 |
■産 業
町の主要産業は漁業・観光・畜産です。 |
| ★牛飼いのすすめ
「見に来てほしいモ〜」 |
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島根半島から北東へ約65km、日本海に浮かぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島です。
この中で人が住む島は西ノ島(にしのしま:西ノ島町)、中ノ島(なかのしま:海士町)、知夫里島(ちぶりじま:知夫村)、島後(どうご:隠岐の島町)
の4つで、島後に対して西ノ島、中ノ島、知夫里島の3つをあわせて、島前(どうぜん)と呼び、大きく2群島に整理することができます。
西ノ島町は島前の3島のうち西ノ島を占め、1つの島で1つの町を形成しています。
◆古代
隠岐は、古事記・日本書紀でみられるように国土生成の時より大八州の1つに数えられ、歴史的には古い島であるといわれています。上古には大陸間海上交通の要衝であり、孤島とはいえ、早くから開けた島であったので、古代国家の体制が確立すると共に島でありながら一国として扱われ、応神朝には隠岐国造が任ぜられました。
◆中世・近世
律令時代に隠岐は遠流の地に定められ、以来近世まで一貫して流刑の島として遠流刑に処せられた人々は数知れないといわれています。その中には中央の史上に顕れる知名度の高い名士や高官もあって、地域の文化や一般庶民の生活・風俗に及ぼした影響は大いなるものがあったと思われます。
近世は、北前船の風待港として栄え、上方文化の影響を直接受けるなど流人の島としては文化的に比較的恵まれた環境であったといえます。
このような歴史的背景の中で、島には史跡も数多く残されており、西ノ島町には後醍醐天皇の行在所の黒木御所をはじめ、海上交通安全の神として信仰の厚い焼火神社などがあります。
地勢は、火山島であったことから、高低起伏が激しく、島の東西を走る200mから300mの山脈により、内海側と外海側とに分かれています。
内海側は、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)と相対して、3島に囲まれた広々とした内海湾を抱き、海岸は屈曲に富んで天然の良港に恵まれ、14の集落が点在しています。
外海に面する部分は、西北岸に1つの集落がある外は、延々37km、海蝕断崖の連続で、海岸には奇岩怪礁が男性的な景観を呈し、特に国賀海岸は隠岐島の観光の代表的景観として知られています。
河川は地形が急峻なため発達する余地が無く、ほとんどが谷間の小流です。
急峻な山裾がそのまま海に接する地形上平坦地は少なく、美田地区にわずかに田地を有する程度でほとんどが丘陵地帯の段々畑となっています。
西ノ島町は、島前3島のうちの西ノ島を占め、面積55.97平方キロメートル、人口3,486人(平成17年国勢調査)を有し、隠岐郡内4町村では隠岐の島町に次ぐ2番目に大きな町で、島前地区の産業・交通の中心地となっています。
◆地目別面積 (資料:固定資産概要調書、面積は評価総地積)(単位:u)
| 平成 |
20年 |
21年 |
| 総計 |
34,216,594 |
34,206,168 |
| 田 |
973,065 |
969,858 |
| 畑 |
5,286,660 |
5,280,448 |
| 宅地 |
693,881 |
691,840 |
| 池沼 |
24,849 |
24,849 |
| 山林 |
22,917,288 |
22,920,277 |
| 原野 |
3,981,275 |
3,982,085 |
| 雑種地 |
339,576 |
336,811 |
西ノ島町は、対馬暖流の影響を受けて、日間気温差は比較的少なく、年間平均気温は15.0度と比較的温暖で降水量は年間総雨量1,190ミリとなっています。
冬期は北西の季節風が強くなりますが、200〜300mの山脈を背に内湾に面する大部分の集落はしのぎやすくなっています。
◆隠岐と各地の気象比較
(1)月間平均気温 (単位:℃、データは2008年の値)
| |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年平均 |
| 隠 岐 |
5.2 |
4.1 |
8.5 |
12.7 |
16.9 |
19.8 |
26.3 |
26.0 |
22.5 |
17.7 |
12.4 |
8.2 |
15.0 |
| 松 江 |
4.5 |
3.2 |
8.4 |
13.1 |
17.5 |
20.6 |
27.3 |
26.7 |
23.1 |
18.1 |
11.7 |
7.4 |
15.1 |
| 東 京 |
5.9 |
5.5 |
10.7 |
14.7 |
18.5 |
21.3 |
27.0 |
26.8 |
24.4 |
19.4 |
13.1 |
9.8 |
16.4 |
| 大 阪 |
5.8 |
5.1 |
10.8 |
15.4 |
20.0 |
23.1 |
28.7 |
28.4 |
24.5 |
19.6 |
13.4 |
9.1 |
16.9 |
(2)月間合計降水量 (単位:mm、データは2008年の値)
| |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年合計 |
| 隠 岐 |
111.0 |
119.0 |
52.5 |
150.5 |
130.5 |
102.0 |
60.0 |
123.5 |
71.0 |
56.5 |
90.0 |
124.0 |
1,190.5 |
| 松 江 |
150.0 |
165.5 |
149.5 |
140.5 |
124.5 |
209.5 |
39.5 |
104.5 |
63.5 |
48.0 |
127.5 |
155.0 |
1,477.5 |
| 東 京 |
17.5 |
57.0 |
119.5 |
240.0 |
255.0 |
225.5 |
48.0 |
387.5 |
158.5 |
204.5 |
74.0 |
70.5 |
1,857.5 |
| 大 阪 |
51.0 |
60.5 |
95.0 |
143.5 |
218.5 |
190.5 |
123.5 |
82.0 |
130.5 |
62.0 |
50.0 |
55.5 |
1,262.5 |
(3)月間日照時間 (単位:時間、データは2008年の値)
| |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年合計 |
| 隠 岐 |
55.9 |
73.7 |
146.3 |
159.4 |
177.4 |
63.5 |
121.5 |
143.0 |
137.7 |
166.0 |
89.5 |
73.1 |
1,407.0 |
| 松 江 |
68.9 |
75.0 |
141.1 |
176.8 |
213.2 |
120.2 |
232.3 |
178.5 |
135.1 |
173.4 |
114.5 |
102.9 |
1,731.9 |
| 東 京 |
164.8 |
214.8 |
187.2 |
150.0 |
136.9 |
106.9 |
168.4 |
130.0 |
124.1 |
141.0 |
142.9 |
190.8 |
1,857.8 |
| 大 阪 |
134.1 |
150.9 |
186.0 |
188.9 |
197.3 |
110.9 |
236.5 |
195.4 |
143.3 |
165.9 |
145.3 |
175.5 |
2,030.0 |
※隠岐のデータは海士町での観測値です。松江は島根県の県庁所在地です。
本町の産業は漁業、観光、畜産が大きな柱となっています。
◆漁業
回遊魚を主体とした巻き網漁業を始め、定置網、一本釣り、採貝、採藻の漁業が中心となっています。
企業的経営体質はみられますが、漁船は5t未満の小型のものが多くなっています。水揚げ高は50〜60億円といわれていますが、近年、山陰沖では主力となるイワシ類の深刻な資源枯渇が問題となっており、低迷気味となっています。
このような状況の中で県立栽培漁業センターが技術開発の総合的研究機関として活動しています。今後の漁業を考える上で、重要な栽培漁業の発展を促すために国、県、町、漁協が一体となり、マダイの放流事業を中心に活動を行っています。
また、海洋牧場は海洋資源を育む力を増進させ、豊かな海を島前湾全域につくっていこうとするものです。稚魚の栽培、放流、魚礁の設置、稚貝の放流、音響馴致システムの設置などを行い、魚を増やし、海面漁業の振興を図ると共に、関連加工業を開発し、総合的な水産業振興をめざしています。
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◆観光業
隠岐島を代表する景勝地『国賀海岸(くにがかいがん)』は玄武岩の溶岩が荒波と潮風に浸食されてそそり立つ大断崖や奇岩怪礁、洞窟が延々と続き、自然の造形美の局地を堪能することができます。
海岸の荒々しさとは対照的に断崖の上は雄大な草原。牛や馬がのんびりと草をはむ牧歌的な風景が見え、よく晴れた日には南西方向に本土の島根半島を望むことができます。
西ノ島は全島がプレイゾーン。大物相手に豪快なフィッシングはもちろん、ウィンドサーフィンなどのマリンスポーツにも絶好のロケーションです。
キャンプ場も耳浦野営場やマリンパーク弁天と充実。どこまでも青く、どこまでも澄んだ日本海に歓声のこだまがします。
◆畜産業
日本海上に浮かぶ隠岐島は交通手段の発達していなかった時代、自立経済依存の余儀ない立場にありました。食糧自給の合理的手段として、先祖が考案したのが『牧畑(まきはた)』と呼ばれる輪転式農業です。その起源は明らかではありませんが、慶長12年の検地帳にその記録があることから400年以上の歴史をもつものと思われます。
牧畑は全国的にみても類例が無く、隠岐島内でも島前にのみ存続した特殊な農業経営方式です。
その形態を簡単に説明すれば、島を4つの地域に区分し、その区分された地区である季節は麦・大豆等の作物を栽培し、そしてある時期に至れば牛馬を放牧するといった輪転を行います。
牛馬の放牧により雑草の駆除を行い、併せてふん尿により地力を回復し、作付けする作物を時期により変えることにより、連作障害をも防ぐことができるというメリットをもっています。
昭和25年頃までは盛んであった牧畑ですが、農業人口の減少によって、現在では耕作は行われなくなりました。しかし、地区の住民であれば土地の所有に関係なく誰でも平等に牛馬を放牧できるという牧畑特有の形態は今でも受け継がれ、広大な牧野を利用した畜産が盛んに行われています。 |
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